2015年10月30日金曜日

何がハロウィンだ

あたくしはハロウィンもそれ以外のキリスト教の祝い事も,原則参加しません.
キリスト教徒でもないし.
ま,クリスマスに七面鳥を焼くぐらいのことはしますが,単に料理が好きだから,丸ごとの肉を焼いてみたいというだけのこと.この時期は手頃なサイズの七面鳥が手に入りやすいから.
そもそもカトリックはクリスマスに肉を食わない.だから,敬虔なカトリックの国,ポーランドとかクロアチアとかは鯉を料理する.七面鳥だって新大陸由来だから,歴史的にヨーロッパの人たちは食べていなかった.かつてはガチョウがクリスマスディナーの定番だった.(マクドナルドや他のハンバーガー店が必ず「フィッシュバーガー」をメニューに入れているのは「金曜日には肉を食わない」カトリックのため)
先住民の祭りや宗教を徹底的に潰したキリスト教も,ケルト人の大みそかである10月の31日は無視できなかった.だからキリスト教に組み込んで「万聖節」All Hallow's evening,略してHallowe'enになった.かぼちゃも新大陸由来だから,ヨーロッパでは使われなかった.スウィードと呼ばれる大きな蕪を使った.

ハロウィンとセントパトリックデーは,ヨーロッパ紀元だけど,騒ぐのはアメリカ人だけ.ヨーロッパでも(ここ数年は多少騒ぐけど)ほとんど何も行われない.

そして,何よりハロウィンが嫌なのは,都心から始まり,飛びついたのがベッドタウンと言われる地域の「意識高い系親子」(意識高いと意識高い系は違う)
都心はアメリカ人も多いので,一部地域ではハロウィンが行われていた.そういうところに仮装した田舎の親子が飛び入りで参加するようになった.都心の地域では見慣れない親子がウロウロするということで,参加する子供も,子供が訪問していい家庭も登録制になって,締め出した.
そうしたらベッドタウンで,自分たちで始めだした.と言う経緯があったので「全く田舎もんのすることは」という偏見があった.
ハロウィンにしろ,セントバレンタインデーにしろ,子供たちがワイワイ騒ぐは可愛くて微笑ましいけど,他に楽しみを知らない下流のDQNたちが参加するような薄っぺらい催しには嫌悪感しか感じません.バブル時代のF1と同じ.
F1はバブル後の低迷期を越えて,真面目なファンが増えて復活した.
ハロウィンと恵方巻きは露骨に商売の匂いが強いからね.騙される底辺がいても構わないけど.
ハロウィンももう少ししたら落ち着くかもね.そうしたらあたくしも参加するかも.

2015年10月27日火曜日

ギャラクシー街道☆☆

2015年10月27日 ギャラクシー街道☆☆☆

んーーーーー何がしたいのか解らない.何が言いたいのかわからない.未来の宇宙で宇宙人たちが「グランドホテル」形式で色々やらかすのだけど,突拍子もないだけで,意外さも驚きもない.映像はそれなりに綺麗だけど.
三谷幸喜の作品は大体好きなのだけど,これに関しては・・・・・・・
西川貴教の歌唱力が半端なくすごいことだけは解った.いや,この歌だけで元は取れるのじゃないか?

追記
いやーーーYahooの映画評見たらあまりにも酷評ばかりで驚いた.おまけに「西川貴教の歌唱力だけ褒めている」のも同じ.
くれぐれも見ないように.

2015年10月25日日曜日

台南から台北へ

隆田から台南へ向い,一泊.

こんなお料理も食べました.今回は時間の都合で名物タウナギは食べられませんでした.
それにしても台南は暑い.

台湾のコンビニにはどこでもストロングボウのサイダーが置いてあります.久しぶりに飲みました.

高鉄で台北へ.
台北着が時間が早かったので,ホテルに荷物を預け,

地下鉄で猫空のゴンドラに乗りに.
台北の移動は地下鉄が便利です.2-3分毎に来ますし,料金が安い.ICカードである悠遊カード(Easy card)で清算すれば,一回たったの16元です.
動物園前で降りて少し歩くとゴンドラ乗り場があります.
こちらも悠遊カードで払えます.
ものすごく混みます(と言っても30分待ちぐらいかな)
猫空のゴンドラへ.
途中でほぼ90度曲がって,山三つ超えて登ります.残念ながら同乗したオツムの弱い日本人のお嬢さま方が,DQN系のお話をなさっているのが録音されてしまいました.
頂上には屋台やら,飲食店やらオサレなカヘやらがたくさんあります.


ま,あたくしは屋台系の食い物を缶ビールと一緒に.

実はなぜかこのゴンドラ,「帰りは空いている」と言う情報が多かったのです.で,並んでみると,ほとんど人がいない.だから底がガラス張りの「クリスタルキャビン」もガラガラだったのでこちらに乗ることに.大陸のガラスと違って,簡単には割れません.

続いて西門へ.わ,若すぎる,渋谷だよ!ここは.退散!

夜市へ.ま,夕方から開店するアメ横って感じですか.

食べ物を買ったけど,ホテルに戻ってビールと一緒に食いました.地下鉄で10分ほどでした.夜市ではほとんどビール売ってないんです.
翌日は市内観光

行天宮と,その前でお供えを売る売店.台湾のお供えは,持ち帰って家族で食べるので,自分たちが食べたいものを供えます.だから殆どが日本製のお菓子です.

蒋介石を祀ってある中正記念堂.なぜか写り込む指の形の心霊写真.

ここにも心霊写真.

ウスギモクセイでしょうか.キンモクセイと同じ匂いがしました.

お昼はここで.

在り来りの料理ですが,やはり台湾料理は美味しいです.

続いて故宮博物館.
あまりの混雑に,日本で見られなかった角煮と白菜だけ見てでてきました.

忠烈祠 日本で言うところの靖國神社.台湾の英霊が祀られています.ここの衛兵交代式は ハァハァ(;´Д`)…ハァハァものです.
衛兵の条件は質実剛健,眉目秀麗.全員身長180cm以上.任務中は瞬き一つしません.
靴の踵には鉄の鋲が打ってあるので,行進中足音が格好良く響きます.
 今回は陸軍が担当でしたが,ハァハァ(;´Д`)…ハァハァ度は空軍,海軍,陸軍の順だそうです.
行進の跡が轍のように残っていますね.
市内観光が終了したら,今度は別の夜市へ.
夜は台北101の展望台へ.

夕方から雨模様だったのであまり視界はよくありませんが.
ここにもガラスの床が.大陸と違って(ry

展望台の下は,広大な珊瑚売り場.なぜ?

今回お世話になった台北のゲイバーScorpio.小さな灯りがあるだけのわかりにくいお店ですが,入り口には日本と同じ「会員制」とあるのですぐ分かります.
ママさんは日本語が達者ですし,日本語カラオケもあります.お客さんも日本人観光客が多いです.

さて,最終日.チェックアウト後,またもや荷物を預かってもらって台北駅へ.
立派な駅です.商店街もたくさんあるのでお土産物も調達できます.

最後の台湾料理.本当に台湾お料理はあたくしの口に合うわ.
システムトラブルでpassbookが使えないとかで,何年ぶりかでプリントアウトの搭乗券.

帰りの機内食はラザニアを選択,
羽田に着いて,CIQを終え,外に出たら5分後に発車のリムジンバスに乗れました.帰りは楽できる.
また行きたくなる台湾でした.

八田與一先生墓参

次の目的地は烏山頭ダムです.台中から台南にかけては嘉南平野と呼ばれる広大な平地が広がっていますが,干魃に悩まされていたこと,塩害がひどかったことから,全く農地として役に立たない不毛の平野でした.しかし,この辺りは温暖で気候も良いので「水さえあれば一大穀倉地」になる可能性がありました.

日本人土木技師の八田與一氏はこの地にダムを作り,灌漑設備を充実させ嘉南大圳と呼ばれる水利設備を作り上げました.はじめは貯水量が少なかったため「稲,砂糖黍,雑穀」の三毛作を行いましたが,現在は年四回の稲作が可能な台湾一の穀倉地帯になりました.農民も潤い,生活が安定しました.
それだけではなく,八田は,マラリアの予防のための薬(キニーネ?)を飲みたがらない現地労働者に飲ませるべく,労働者を一列に並べて薬を飲ませ,全員の口の中を覗いて薬を飲んだか確認したり,労働者の慰労のために色々催しをしたり,博奕で捕まる労働者が多かったので,治外法権にして度を越した博奕以外は認めたりと現地人のために色々と骨を折りました.
あたくしには詳細はわかりませんが,烏山頭ダムは,現存する世界で唯一のセミ・ハイドロリックフィル工法ダムだそうです.台湾の地質に合わせて,コンクリートを使わずに最も耐久性のあるダムを作れたのがこの工法だとか.
八田與一氏はその後,1942年フィリピンでの灌漑調査に向かう途中,乗っていた船が米軍の潜水艦に撃沈され亡くなりました.1945年,終戦後,日本に引き上げる準備を済ませた未亡人は,子供たちを着替えさせ,見送ると正装して烏山頭ダムに向かい,放水口に身を投げ自死なさいました.あたくしの目的は墓参です.

烏山頭ダムに行くには幾つかルートが有ります.金持ちは嘉義からタクシーをチャーターして向かうそうです.現地観光案内所で色々聞いたら,あたくしのような貧乏人は台鉄で台南方面に向い隆田から向かうのがリーズナブルのような.
隆田の駅前にタクシーが屯しているので交渉します.
ネットで検索したら「烏山頭ダム,八田與一記念館,八田與一記念公園」を回って隆田の駅まで戻るコースが700-750元位の値段,今年は800元ということなのでお願いしました.(東京人は言い値で買うのが美徳,値切るなんてもってのほか)
ダム入り口で200元払います(観光客だけ,運転手,ガイドは無料)

八田與一氏像.この像は戦争中供出にあいそうになりました.供出の時,何故か行方不明.村人達が隠蔽したのです.戦後ここに再度置かれました.

像の裏に御夫婦のお墓が.お線香を手向け慰霊.



ダムの水.

夫人が身を投げた旧放水口.現在はほとんど放水しないそうです.ここに八田與一記念館があります.KANOで八田與一を演じた大沢たかおのサインも展示されてます.

5分ほどドライブすると八田與一記念公園があります.当時の八田邸や近隣の家庭が再現されていたり(かなり盛っているようです.)


新たに奥様(外代樹さん)の像が増えたり.
現地の高校生が課外授業か何かで大勢訪れていました.

KANO

続いて嘉義市へ.映画KANOの舞台となった街です.
高鉄の「嘉義」からバスで30分ほどで台鉄の嘉義につきます.

チェックインしたホテルが,超豪華ホテル.一応三つ星でリクエストしたのですが.


バスタブだけじゃなく,シャワーブースまで.

中央噴水.KANOの学生さんたちが「甲子園,甲子園」と走ってた噴水です.
駅前にも噴水はあります.

この鶏飯は嘉義名物だとか.

Kanoの駅のシーンは台鉄ではなく,阿里山森林鉄路の駅だったとか.


現在のKANO,国立嘉義大学です.
阿里山森林鉄路の北門駅近くに「KANO故事館」があり,映画に使われた小道具などが展示されています.

ホテルで紹介してもらったバー.ホテルから徒歩五分ほど.なかなかオサレなバーでした.

嘉義の駅から今度は烏山頭ダムへ.

謝謝台灣

台湾行ってきました.
セデック・バレ,KANOと台湾映画を続けて見て,さらに震災の時の台湾の皆さんの御尽力に感激して「何日かはお礼をしなければ」と思っていたのですが,所詮あたくしができるのは「日本円をばらまくことだけ」微力ながらお手伝い.
ついでに霧社事件,嘉農,烏山頭ダムも訪ねることに.
あたくし,ヨーロッパは何度も行ってるし,パリやウィーンなんかは土地勘もあるので問題ないけど,アジアは素人.どうしようかネット検索してたら「かなりややこしい旅でも承ります」なサイトをハケーン,上記のことを伝えた.
ウェブトラベルさん.直ぐに回答が来た,でも・・・・・・高い.
やはり場所が場所だけに,専門のガイドや車のチャーターが必要.ちょっとちょっと「クロアチアドイツ10日間」よりはるかに高いよ.
でも霧社とか嘉農はツアーもないし(最近JTBがKANOのツアーは始めたらしい)
で,
HND-TSA
台北→台中(高鉄)泊
台中→霧社 泊
霧社→台中→嘉義 泊
嘉義→烏山頭水庫→台南 泊
台南→台北 泊×2
TSA-HND
台湾なんか行ったこと無いし,楽しめるかしら?てなわけで旅行開始.
まずは,HND-TSAが結構早い便だったので,羽田前のり,ついでに売り専デリバリーでお楽しみの後,ホテルのシャトルで羽田の国際線ターミナルへ.


喉を潤しながら出発便を待つ.

シップは初めて乗るB787.事前にEDカードをネット申請したので,イミグレでは「Internet」と言うだけでOK.写真と指紋で1分ほどで入国完了.

高鉄(新幹線)で台中へ.

その後台鉄で「台鉄台中駅」へ
台湾の高鉄駅は,台鉄駅から10-20Km離れていることが多く,東京駅や新大阪駅のように考えていたらとんでもないことになりますので,予め乗り換えをチェックしておいたほうが.
台中は台鉄台中駅まで電車がありますが,嘉義はバスしかありませんでした.

台中駅からバスでホテルへ.

ホテルは結構豪華ながら,駅からそれなりに遠いので,専用バスの団体観光客が多いホテルでした.

翌朝あたくしはチャーターした車で霧社へ.
霧社事件の首謀者とされるマヘボ社の頭目,モーナ・ルダオの像.
「抗日の英雄」のように持ち上げられていますが,本当はモーナ・ルダオの息子と日本人警官との私怨のようで,そもそも原住民の頭目は度重なる日本政府の接待旅行で,日本の軍事や人口,文明を知っていたので「戦いを挑めば皆殺し」とわかっていた.
だから半数の頭目は参加しなかったし,「やるなら最後まで自分たちで責任を持て」と傍観した.
しかし,手打のために誰か人身御供が必要で,首謀者の父親でありマヘボ社の頭目であったモーナ・ルダオに責任を押し付けたというのが真実のようです.
蒋介石の時代に「日本人を殺した人はみな抗日の英雄」と持ち上げられたようです.
お線香を手向け,安寧を祈りました.
霧社事件の現場,霧社公学校の跡地.現在は台湾電力の施設になってます.結構狭い.
原住民の胸像.額と顎の下の模様は文身です.女子は「機織りができるようになると」男子は「首狩りをすると」その証として文身をします.文身がないまま死ぬと,虹の橋を渡って先祖の地に帰れないと言われます.
人種的には台湾原住民はポリネシア人と関係が深く,身長も180cm前後と大きい人が多かったということです.文身,キンマ噛みなども共通する文化です.
現在この階段の上には廟がありますが,嘗ては神社でした.蒋介石の時代に鳥居も灯篭も壊されましたが,地元民が記憶を頼りに再建しました.「なんか変」ですが,世界で一つの鳥居になってます.
霧社のホテル.ユースホステル程度の設備でしたが,NHKも映るし,Wifiも入りました.
霧社の役場で,川中島在住の原住民の方に会い,川中島へ案内してもらいました.
事件の後,生き残った原住民は川中島と呼ばれる地区に強制移住させられました.
しかし,「日本人から農業を習い,明日をもしれぬ狩猟生活から,安定した農民に変わることができた」と好評のようでした.
ここには「余生記念館」があります.
原住民の衣装や,
セデック・バレで使われた衣装も展示されてます.
さて,霧社の街

メインストリートはこんな短いところですが,さすが台湾,飲食店は多いし,セブンイレブンもあります.
朝食の豆乳と肉まん.豆乳なんて日本では飲んだこともないけど,この豆乳は美味しかった.
さて,高鉄台中駅に戻り,嘉義へ.